龍佐民(りゅうさみん)の過去を含む生涯や家系とは?逸話や子孫は今どうしている?

大河ドラマ「西郷どん」に登場する人物・龍佐民(りゅうさみん)
という人物が登場しますね。

キャストは大物俳優の柄本明さんが演じられています。

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個人的に柄本さんは”ゴジラVSスペースゴジラ”の時の印象が
強く残っています。

現在、ゴジラシリーズはHuluで配信されていますね。
Huluに入られている方はぜひ見てみてくださいね。

話はそれてしまいましたが、龍佐民は奄美大島に渡った西郷の
世話人を任されていました。

西郷はこの奄美大島での経験が、今後の人生に大きな影響を
与えることとなります。

今回は西郷が奄美大島に渡った際に縁が深い、龍佐民の生涯や
人柄、逸話と子孫について紹介します。

龍佐民とは

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龍佐民は奄美大島の豪農です。
豪農とは多くの土地を持っていて権威のある裕福な農家のことです。

もともと龍家は琉球で代々暮らして来ましたが、琉球が薩摩藩の
管轄に入ったときに奄美大島に移ってきました。

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奄美大島に移った理由は、黒糖づくりのためです。
この時代は黒糖や砂糖は大変貴重品で大きな値段で取引されていました。

現在奄美大島の黒糖は”大島黒糖”という名で販売されています。
大島黒糖の歴史に多大な貢献をしたのが龍佐民氏なのです。

龍佐民の家系

龍佐民の祖先は笠利為春(かさりためはる)と言われています。

15世紀の琉球の尚稷王(しょうしょくおう)の血筋に当たります。

1609年に琉球と薩摩で戦争が起こりこのときに琉球は敗北しました。
その後笠利一族は薩摩藩に使えることになり、1785年に薩摩藩から
「龍」性を与えられます。

龍家は奄美大島を代表する名家で新田の開発や黒糖生産によって
薩摩藩の財政を大きく手助けしてきました。

龍佐民の生涯

龍佐民が西郷と出会うまでの生涯は謎に包まれています。
西郷が奄美大島に渡った時に暮らしていたのは、龍郷村という所でした。

この村の代表が龍佐民でした。龍佐民ははじめはよそ者だった西郷を
はれものを扱うように接していましたが、重税に苦しみ奄美大島の民を
代官から助けたことがきっかけで一気に信頼を得ました。

龍佐民の西郷に対する信頼は相当なもので、自分の愛娘である”愛加那”
と結婚してくれと頼み込むほどでした。

結局、龍佐民の熱意に負けた西郷は結納を結び、2人の子供を授かっています。
龍佐民は西郷と愛加那の婚礼では夫婦ともども媒酌人を務めるほどの
入れ込みようだったそうです。

愛加那(とぅま)の詳細についてはコチラを御覧ください

龍佐民の子孫はどうなった?

西郷と結婚した龍佐民の孫娘・愛加那は、またしても沖永良部島に
島流しに目に会いました。

愛加那は西郷を追って子供ともども沖永良部島に渡ってきますが、
島津久光の命で投獄されてしまいます。

島津久光の生涯と子孫や篤姫との関係は?生麦事件や花火で幕府に抗議したってホント?

これが西郷と愛加那の生涯の別れとなってしまいます。
西郷と愛加那の子どもたちは高度な教育を受けるために
鹿児島本土に渡っています。

特に長男の菊次郎は海外留学の後、京都の市長や台湾の
支庁長を歴任しています。

まとめ

・龍佐民は奄美大島の豪農で西郷の世話人

・龍佐民の一族は黒糖づくりを行っていた

・龍佐民の祖先は笠利為春で琉球王の血筋に当たる

・西郷と龍佐民の孫娘・愛加那と結婚した

・西郷は投獄され愛加那と生涯離れ離れになった

・長男の菊次郎は海外留学の後、京都の市長や台湾の支庁長を歴任

はじめ、西郷を疑っていた龍佐民は侍なのに島民の肩を持つことに
不思議に思いつつも魅了されていきました。
その後は最後うと愛加那の仲を取り持つ事となります。

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1 Comment

綾野英明

いささか事実誤認があります。
笠利為春が奄美の支配を琉球王府から任されたのは、はるか昔です。
為春は1482年生まれです。
砂糖作りに来たわけではありません。首里大屋職の任命書も現存しています。
また、薩摩藩から与えられた名字は「田畑」です(1726年)。
「龍」は藩命(一字姓への改名)によって、仕方なく「龍」を届け出たわけです(明治になって田畑に復姓)。
さらに言うと、龍家は豪農ではなく、郷士格です。
1726年に奄美群島で唯一の代々外城衆中格となっています。
そして西郷との関係の始まりに関しては、彼を龍郷の龍家に預ける決定は藩によって行われています。
当初から龍家の敷地内で暮らしていました。

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