孫氏の著者・孫武の生涯とは?

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孫武

一般に孫氏と言った場合、「孫武」のことを言います。多くの人が「孫武」と「孫臏」(そんびん)を混同していますがここでは「孫武」についてご紹介します。

 

誰でも一度は聞いたことのある本の名前に「孫子の兵法」があると思いますが、これを書いたのが孫武です。この孫子の兵法の著者が孫武か孫臏かわからなかったのですが、近年著者が孫武であることが判明しました。

 

孫子の兵法は知名度が非常に高いのですが、その著者である孫武にスポットが当たることはあまりありません。本と言うか書物が独り歩きしているのが現状です。

 

孫武の生涯

ここでは稀代の兵法家である孫武の生涯について触れてみたいと思います。

 

孫武の生い立ち

孫武はまだ始皇帝が中国を統一する前の時代である春秋戦国時代の人物で生年は紀元前535年とされています。春秋時代の大国である斉国に生まれたものの内戦にみまわれ孫武は一族を引き連れ呉に逃げのびました。これがその後の孫武の人生に大きく関与してきます。

 

呉にて「孫氏」を著作する

現代でも有名な「孫子の兵法」は逃げ延びた呉に来た後隠居中に書かれたものです。この「孫子の兵法」を当時呉の大夫(大臣)であった伍子胥がときの呉王である闔閭に献上されました。呉王から厚い信頼を得ている伍子胥の推薦に呉王・闔閭もついに応じて孫武は謁見を許されました。この時史記の有名なエピソードである「孫氏勒騎兵」(そんしろくきへい)がありますが長くなってしまいますのでここでは割愛します。

 

将軍としての孫武

孫氏勒騎兵の一件で孫武の才能を認めた呉王・闔閭は孫武を呉の将軍に抜擢します。将軍に任じられるやいなや大国・楚の実質的に植民地であった鐘吾国、徐国を打ち倒しました。

その後、孫武の名を中華に広めた戦である柏挙の戦いが起こり、ここで孫武擁する呉軍はおよそ7倍の兵力差にも関わらず楚国を打ち倒しました。

 

孫武のその後

大国・楚に勝利を収めた呉王・闔閭は隣国・越との戦争中に負傷しそのときに傷が原因で死亡しました。その後闔閭の子・夫差とともに越に雪辱を果たしましたがその後孫武は歴史の表舞台から姿を忽然と消します。

 

一説によると越を倒して慢心した呉王・夫差に謀殺されたともいわれていますが真偽は定かではありません。

 

最後に

いかがだったでしょうか?今回は有名な「孫子の兵法」の著者である孫武についてご紹介させていただきました。

孫武の人生は2000年以上も前の話ということもあり不明な点や憶測が多く真偽が定かではありません。しかし、今わかっていることだけでも充分孫武の人生がドラマチックであると思います。

 

歴史書で書かれていない部分を想像で補完するのが歴史の楽しみ方だと個人的に考えています。

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